霊園ガイド特集記事|六月書房

霊園ガイドNo.86<発行日:2015年2月10日>より再録

潮流
― お墓は誰のためのもの ―

霊園ガイド  お墓は誰のためのもの。と問うと、何をいまさらお墓は故人を供養するためのものに決まっているだろう。そう答えが返ってくることは承知のうえで問いかけたのだが、私も以前はそのように考えていた。しかし、お墓をとりまく業界に30年も関っていて、多くのことを見聞きしていると、お墓は故人の供養だけでなく、お墓を介して、今日を生きる私たちにとっても重要なものではないかと思うようになった。ここでは、そのことについて、考察することにした。
誰にとっても大切な人、愛する人を亡くすことは大きな苦悩であり、深い悲しみである。しかし、死という時を境にして、生きる者と亡くなった人とは同じ世界に共存することはできない。そして時間の経過とともに、その距離感は離れていくものであり、それが自然のことだと思う。
なぜなら、亡くなった人のことを毎日毎日、朝から晩まで、何ヶ月も何年も思い続けていれば、その人は生きる気力を失ってしまう。生きる者は明日に向かって元気に生き続けなければいけない。そのことが生を受けた者の宿命なのだから。だが、亡くなった人を思わなくてよいということではない。生きる者と亡くなった人が適度な距離感をもつということが大切なことなのだ。
供養とは、亡くなった人を思うということであり、その心の表現が、仏壇を購入したり、お墓を建てる行為へと昇華し、香を焚き花を捧げ、法要を行う。いずれの行為も、亡き人への供養の心が具現化したものだ。
供養の心が物、形を介することによって、亡き人との良い距離感が保てることになってくる。
われら凡夫にとっては、物、形あるものがあって供養の心を高めることができる。親鸞聖人は「南無阿弥陀佛」の六字名号だけで阿弥陀佛を感想することができると言っているのを何かで読んだことがある。しかし凡夫にとっては阿弥陀佛の像が必要なのである。
このように亡き人に対して、よい距離感をもって、供養の心を持続させるために、仏壇、お墓の存在は大きいものがある。
ここでは、お墓について考えてみることとする。ご承知の通り、お墓には亡き人のお骨が納められていて、非日常的空間の中で、亡き人の供養のためだけに時間をかけて訪ねる。春秋の彼岸など年に何度かのことで、より亡き人への思いは強まり、供養の心が高まるものである。何より、先にも書いたが、お墓には亡き人のお骨が納められていて、墓参の時にお骨を確めることはしなくても、そこに納められていることを思うだけで、亡き人への思いは深まるものである。
感性の澄んだ状態で、花を供え香を焚き、手を合せて、家族のこと、気がかりなことを報告し、対話したり、見守ってほしいとかお願いをする。しかしそれらに対して、お墓が答えてくれることはないが、自問自答することによって、方策が浮んだり、明日から元気で頑張ろうと勇気がわいてくるものである。
また誰にも相談できない悩みなども語りかけることができる。答はないまでも、心を開くことで随分と心が楽になることもあるだろう。
  実際に霊園など廻っていると、納骨式の時には涙している人も見かけるが、多くの場合お墓参りの後は、爽やかな表情で帰っていく
このように、お墓は、お墓参りを済ませた者に明日への活力、勇気を与えてくれるだけでなく、大きな精神の浄化作用をも与えてくれる。
また、お墓は、家族と共に墓参りをすることで、家族の深い絆ともなり、亡き人の供養だけでなく、今を生きている人にとっても大きな力を与えてくれるものである。
近年は子供たちに負担をかけたくないと、お墓を建てることを躊躇っている人も多いと聞いている。一見、子供思いの物分かりのいい親のようにも思えるが、先のようなことを考えるならば、果して正しいことであるのかと考えさせられる。そればかりでなく、子供たちが悩んだ時、お墓参りをし、勇気と活力を得て明日へと歩きはじめるのであれば、その機会を奪っていることにもなるともいえる。
過保護の中では一人立ちする立派な人格は育たない。その意味から子供たちに負担をかけることで、子供たちが、立派な社会人として世に認められることになるのではないだろうか。
子供への負担をかけないことから、散骨や海洋葬などを選択している人もいる。こういった葬法は随分と昔からあった。しかしそれらは故人の意思によって、ほんの一部の骨を、好きだった山や、海に撒くということだった。しかし今日では全骨全てを処理してしまうということが多いと聞いている。このような方法では、亡き人への思い、すなわち供養の心をどこに向ければいいのか難しいことになる。
人は太古の昔から連らなる生命の流れの中にあり、70年、80年と生命をつなぎ、生きた人生は重いものがある。人生の最期を意識する生き方をすることによって、人としての正しい生き方ができると思う。
話が少し脇道に外れたが、お墓とは亡き人への深い思いが供養の形を生み、生き者に勇気と活力を与えてくれ、人生を正しく生き抜く意識の根底にある。お墓というもの、お墓を建てるという行為について、今一度深く考えてみる必要はあるように思う。
お墓を建てても継いでくれる者がいないという人のいることも現実であるが、このような人のためには永代供養墓という新しい形の墓もある。
いずれにしても、人として生き抜いた人生を、遺骨処理とも思える方法で済そうとしている場合も見られる。はたして人の一生という重みを、このような方法で処理していいものか大きな疑問である。もう一度、墓のもつ力を考えてほしいものだ。

 

|霊園ガイド特集記事目次|

 

仏事・宗教・美術等の出版社 
六月書房

〒169-0075
東京都新宿区高田馬場1-7-1フジビル
TEL.03-3207-6810
FAX.03-3207-5854
E-mail:info@butuji.co.jp